くりっく365用語
金融商品取引所が、ある企業の発行する株式などの有価証券を金融商品取引所で売買することを承認することです。 「現在5業態17店舗だが、当面、6業態21店舗に増やす予定だ。新業態のオーガニックセレクトショップは、今春にオープンする予定だが、成功モデルの多店舗はあきられてしまうし、時代の流れについて行けず陳腐化してしまう。だから例えば、オーガニックセレクトショップの販売員は、単なる売り子ではなく、オーガニックのコンサルタント、コンシェルジュの役割を果たせるようにしたいと考えている。一方で、インテリアに関しては、日本発のデザインプロダクトを世界に拡げていきたい。デザインは世界共通の言語なので、まずニューヨークとロンドンでの展開を考えていきたい」
□空間プロデュース、オフィスデザインに本格進出
■“戦場”を知識創造の泉に
エレベーターを降りてエントランスに一歩足を踏み入れると、FXでできたウッドデッキが目に飛び込み、木の香りが辺りいっぱいに広がる。桜田通り(三田通り)をはさんで慶応大学の向かい、インテリア雑貨や各種ライフスタイル商品の企画・開発・販売会社、イデアインターナショナルが本社を置く東京都港区芝のビル7階は、新たな戦略事業である空間プロデュースのモデルルームであり、オフィスデザインの本格展開に向けたショールーム「イデアパーチハウス」=写真=でもある。昨年9月からスタートした。ここからオフィスや店舗空間のコンセプト、デザインが次々に創出されていくことだろう。
多くのビジネスパーソンが1日の3分の1を過ごすオフィスは、約5000億円に成長したオフィス家具の大手メーカーによって寡占化され、事務効率を重視する余り、合理的ではあるが画一的な空間がプロデュースされてきた。これに対しイデアは、各種商品の企画・開発や直営店舗の運営などで培ってきたコンセプト力、デザイン力などのクリエーティビティー(創造性)を最大の武器に、素材・デザインにこだわった和製家具、リユース・リサイクルによる価格競争力、外部デザイナーとの連携によって総合力を駆使。さらにマネジメントアドバイス、戦略立案などのコンサルティング力も加え、受注案件の獲得に全力投球する。
小鳥の集うパーチ(止まり木)のように、さまざまなヒト・モノが自然に集まり、ふと立ち寄りたくなるFX 取引(家)のような、居心地のいい空間。人や情報が社内外を問わず、自由に行き交い、ワイワイガヤガヤの談論風発。これまで無味乾燥なビジネス戦場でしかなかったオフィスは、楽しく快適で、癒やしすら感じられる知識創造の泉になっていくのかもしれない。
□インテリア&デザインのポータルサイト運営
■ライフスタイル市場拡大
イデアインターナショナルは昨年8月1日から、FXを楽しむ高感度な人々が感覚的にライフスタイルの関連情報を入手・発信・交換できるインテリア・デザインのポータルサイト「id site(アイディーサイト)」=写真=を運営している。
ライフスタイルの「カタチ」は、世代や生活環境、志向性などによって実にさまざまだ。しかも、時の経過とともに、その様式や価値観は絶え間なく変化する。しかし、インテリア・デザインのマーケットでは、eコマースが主流で、ショップからブランド、デザイナーの情報がすべてつながっているポータルの役割を担うサイトは、ほどんどなかった。
このサイトにより、不特定多数のユーザーからライフスタイルの関心の高いユーザーを集客し、プロダクトや作品を軸に、誰がデザインし、どのメーカーが製作し、どこのショップで売られているかという関連情報で、メーカー、ショップ、クリエーターの情報へのアクセスを促す。さらに、自分たちのホームページやブログにリンクでき、それぞれがボーダーレスにコミュニケーションできる場を提供している。
イデアとしては、ライフスタイルマーケットの活性化と拡大に貢献していきたい考えだ。将来的には、モノが生み出される仕組み(商品化)が確立され、デザイナーの活躍の場と機会が増え、ひいては日本発のモノづくりが見直されることも期待している。
■デザインコンペを開催 海外含め約1000点応募
インテリア・ライフスタイルにかかわるすべてのユーザー、クリエーター、メーカー、ショップのためのコンペティション「id Design Award 2009」が、ポータルサイト「id site(アイディーサイト)」により開催されている。昨年10月末からアイデンティティーのあるデザインを募集したところ、日本だけにとどまらず、世界各国から昨年中に合計約1000点の作品が寄せられた=写真。
7月には受賞作品を発表する予定だが、デザインの世界では破格の500万円という大賞賞金が用意されている。しかも、デザイン権はデザイナーに帰属し、イデアを含めてできるだけ多くのメーカーで商品化を目指す。デザイナーが複数のメーカーと出会うことによって、デザイナーが一層活躍できる機会を提供し、新進気鋭のデザイナーを積極的に発掘、育成したいという橋本雅治社長の熱い思いが、異例のコンペ開催の原動力になつていることはいうまでもない。
これまでのコンペはというと、メーカーがメーカーのために開催することが多く、メーカーがデザイン権を握っているため、商品化へのハードルもきわめて高かったという。
別働第三旅団は7月24日、粟谷から財部に進撃し、指揮長不在の薩軍を攻撃して財部を占領した。続いて、退いた薩軍を追って、右翼を田野口・猪子石越から三木南・堤通に進め、本体・左翼を高野村街道から進めさせ、平原村で河野主一郎部隊の守備を突破し、庄内を占領した。薩軍が都城に退却したため、別働第三旅団はさらにこれを追撃して都城に侵入した。第四旅団は福山と都城街道・陣ヶ岳との二方面から通山を攻撃した。中島は振武隊を率いてこれを防ぎ、善戦したが、すでに都城入りしていた別働第三旅団により退路を阻まれて大打撃を受けた。その間に第四旅団は都城に入ることができた。別働第一旅団は岩川から末吉の雷撃隊(辺見)・行進隊(相良)と交戦し薩軍を敗走させ、都城に入った。
7月24日、要所である庄内方面・財部方面が官軍に占領された結果、都城の各方面で薩軍は総崩れとなり、この日官軍は都城を完全に占領した。これ以降、薩軍は官軍へ投降する将兵が相次ぐものの、活路を宮崎へと見出していこうとした。しかし、この守備に適した都城という拠点を官軍に奪取された時点で、戦局の逆転はほぼ絶望的となってしまった。
豊後・美々津・延岡方面の戦い
豊後・日向方面は4月末から5月末にかけて、野村忍介が率いる奇兵隊とそれを後方から指揮・支援する池上とその部隊の働きで薩軍の支配下におかれたが、官軍の6月からの本格的反撃で徐々に劣勢に追い込まれていった。薩軍は都城の陥落後、宮崎の戦い、美々津の戦、延岡の戦いと相次いで敗れて北走し、8月末には延岡北方の長井村に窮することとなった。